トランスジェンダーの人が暮らしやすい社会について

子どもの頃からの私のジェンダー観について

私がトランスジェンダーについて考える時、よく小学校の頃から中学校まで同じ学校に通っていたある男の子を思い出します。
仮にその子をA君としますが、今回ここでA君の話をする理由は、小さい頃のイメージや前もってついた「価値観」が物事の見方を変えてしまう、ということを自分が身をもって体験した良い体験談だと思うからです。
以下で、実際にA君がトランスジェンダーだと私が気づくまで、そこからの私の価値観についてをお話しします。
A君は小学校の頃から女の子と一緒にいることがほとんどで、いつも楽しそうに学校生活を送っていました。
その時は周りも、私も「女の子と一緒にいる方が好きなのかな」というイメージぐらいで、全く違和感は感じることがありませんでした。中学校になって、初めてある時A君を久しぶりに見た時(同じクラスではなかったので)、ふと「中学校になってもいつも女の子と一緒にいるな」と改めて感じました。
それは、逆に自分が思春期で、前よりも男の子を意識するようになったので、A君はすごいな、という感情から生まれたものだったのですが、選択授業で同じ授業をとって、久しぶりにA君と話した時に初めて、改めてA君の口調とか、仕草とかそういったところに女の子っぽさを感じました。
その時も、「あ、そうそう、これがA君だ」と思ったぐらいで驚きはしなかったのですが、今思い返せば、小学校の時に男の子、と感じていたA君が、中学のあの選択授業の時に男の子とか女の子とかどっち、とかではなく、「A君」という認識になったと感じています。その後、私のクラスの男の子のことが好きだったみたいで、いろいろ質問されたり話を聞いたりしましたが、全く違和感なくそうなんだ!と思えましたし、何より私よりも仲の良い女子グループがA君にはあって、そこで当たり前のように中学生活を過ごしていたことが、今大人になって考えると、当時トランスジェンダー等についてまだ知らなかったけど、A君はA君、という認識がいじめや差別を起こさなかったのかな、と考えています。

最後に

上記で私の体験談を話しましたが、周りでもトランスジェンダーに限らず「女の子だけど女性が好き」という友達もいますが、それはそれで個性として見れば良いのではないかな、と考えています。
最近はYOUTUBEでもコメント欄に性別はどっちなんですか?なんてコメントがあるそうですが、個人的な意見としては、どっちなんて決めなくて、その人はその人、として見ることができると、もっとお互い楽に生活できるのではないかな、と思いました。