多様化しすぎて数えられないジェンダー観

違ってたっていい、が一番

ジェンダー観は人によって違います。
振れ幅も、見え方も、まったく異なります。
その一つ一つに名前をつけて、区別をつけていくのは途方もない作業となるでしょう。
一つ一つのジェンダーに対する対応の仕方を考えるよりも、「どんな性別でも、その人はその人」「そういう考え方なんだね」と、受けていれてしまう方がずっと簡単です。
そもそも、名前のつかないジェンダー観の人々だってたくさんいるのです。
「セクシュアルマイノリティ」という呼び方がありますが、果たして本当に「マイノリティ」なのかすら、怪しいところです。

私たちはジェンダー以前に、肌の色、出身地、宗教、目の色、道徳観など、実に様々な違いを持って生まれています。
同じ国、同じ人種であったとしても、身長の高さ、低さ、身体的特徴、独自の習慣、センスなどを持って生きています。
同じ人間は一人としていません。
それなのに、ジェンダーだけを別にして考えるというのは、なんだかおかしな話です。
これまでも、互いの様々な違いを乗り越え、手を取り合ってきた私たちです。
ジェンダー観の違いを乗り越えるのも、そう難しいことではないはずです。

これから先、「ジェンダー観」というもの自体にわざわざ注目のいくことのない、暖かい世界になることを、切に願ってなりません。