LGBT婚の高いハードル

リスクの高さ

周囲にカミングアウトしていない性的少数者にとって異性以外の人と結婚をするという事(lbgt婚)はカミングアウトと同義であり、まだまだ偏見が強い日本社会においてそのリスクが非常に高いです。
理解が進みつつあるとはいえ、まだまだ好奇の目にさらされ社会的関係にも影響を及ぼすことが考えられます。
「(男女の)結婚をして一人前」という風潮が強い社会においては、lbgt婚はまだまだ異端で認められていないのが現状です。
それ故に周囲へのカミングアウトを避け、人によっては情で家庭を持ち社会生活を送っている人さえいるのです。
日本では結婚は家同士が結びつくことであるとはよく言われており本人同士よりも周囲への理解がないと進まないので、lbgt婚の場合その壁はより高いことが容易に想像できます。

事実婚認定

長年連れ添って人生を共にしても婚姻状態とは認められず、パートナーの葬儀への出席や死後の財産分与も認められないとのニュースがありました。
男女のカップルならばお互い婚姻の意思があり生活を共にしていれば認められる当然の権利を認められなかったことになります。
パートナーの喪失感だけでなく一緒に過ごした時間をも否定される悲しみは想像に堪えません。
一部自治体によってはパートナーシップ制度を設けているところもありますが、公的なものではなく不動産契約など諸業務をスムーズに進めるためのツールでしかありません。
男女の事実婚と同じく証明することは難しいでしょう。
「lbgtが結婚することが法的には認められていない」=「結婚を望むことも間違いと社会に言われている」と認識している人にとっては、一緒に過ごす事はあっても結婚の意思さえ芽生えないこともあります。

理解の低さ

以前、ある議員がlbgtには生産性がないと発言したことが話題になりました。
ご本人的には過激な発言で注目を集める炎上商法ぐらいにしか思っていなかったかもしれませんが、これこそが理解の低さを象徴するものです。
lbgtは性的嗜好ではなく、その人の生き方を決める非常に重要で決定的なファクターなのです。
残念ながら多くのlbgtカップルには子どもをつくることができません。
ただし、子どもを持ち育てることは可能です。家庭を築く仕組みが社会にないので、進んでないのです。
国民を代表する議員がこうした政策を進めることもせず、先のような発言をすることが許される社会であることは憂慮に堪えません。
lbg婚がナチュラルに受容される社会と認識を広めていくことが今後必要になってくると思います。