「LGBTじゃないし」というフリをしていた、中学生の私へ【体験談】

中学校という特殊な場所

いまや大人になって信頼できる友人にカミングアウトをした私は、当時とは全く違う「新しい世界での人間関係」の中にいて、「理解されるラクさ」や「ウソをつかなくていい気持ちよさ」を体感したことで、こっちの方がはるかに生きやすく心地良いことを知っています。
ただ、当時の私の生活のほとんど全てだった「中学校」という場所では、今のように自分の好みで付き合う友達を決められるわけでもなければ、自分の判断で自由に身の振り方を変えられるわけでもありません。

「同じ時期に同じ年になった」というだけの理由で集められた、性格も嗜好もバラバラの同級生たちのなかで、合う合わないとか好き嫌いとかはとりあえず置いておいて、どうにかこうにか生活をしていかなくてはならないのです。

そして13歳14歳15歳と言えば、俗に言われる「思春期」真っ只中の、多感も多感な最もデリケートな時期です。
その後の人格形成にも少なからず影響があろうこの時期にどういう心持ちで過ごせていたかということは、実にその後の「人生」にも直接影響していく部分だと思えます。

LGBTじゃないフリをしていた私へ

私は別にだからと言って、現役のLGBTの中学生の皆さんに「人生を変えちゃおう☆今すぐレッツ・カミングアウト!」と言いたいわけではありません。
あくまでも私は、「今の私」から「当時の私」へ、「カムアウトしちゃうって道もあったよね、そっち選んでたら、それからどうなってたんだろうね?」と出もしない答えをアレコレ妄想しながら、マッチポンプ的に不毛なタラレバ人生シミュレーションをしているにすぎません。

私は、自分の中学校生活がハッキリ言って楽しくありませんでした。
そしてそれは、今振り返ってみれば(言い訳ではなく本当にそう感じるのですが)、「自分がLGBTであったことを周囲との関係の中でうまくすり合わせることが出来なかったせい」でもあると思っています。

中学校というのは本当に特殊な空間だと思います。
そこにいる人も、そこで行われることも、当時の私にとっては「なんだかなあ」と思えてしまうようなものでした。
しかし、繰り返される安穏としたつまらない日々を、そこで冒険を選ばず周囲に自分をアピールすることもせず、私は私で選び取り作り上げていたのかもしれないな、と今更ながらに思ったのです。

LGBTの私にとって、当時は「LGBTじゃないフリをして暮らす」というムリを自分に課すことでしか、「平和な」中学校生活を生きることができませんでした。
それがいいか悪いかではなく、私は「そうだった」という話です。
タイムマシンなんて物はないので、当時の必死だった私に今から会いに行ったり、そこで「後でイイこともあるよ!」と伝えてあげることも叶いませんが、私は人知れず頑張ったりしていた私をちょっとだけ見直してあげることにしようと思います。