LGBTとクラブイベントの親和性

lgbtといえばHouse Music

大学生の時にクラブに初めて行ったのは渋谷のROOMというlgbtとは関係ない店でしたが、lgbtフレンドリーな同級生が、クラブ史に残るClub Yellow(通称イエロー)というハコがありました。
大学生の時の親友に「イエローでやっているゲイナイトに行かない?」と誘われましたが少し怖かったので断りました。
クラブは好きでしたが、ゲイナイトといのは未知の世界だったので断りましたが、当時はアンダーグラウンドな物や刺激のある物に興味があったので、その親友にどんな感じのイベントだったか聞いたら「上半身裸にされて、知らない人達に沢山キスされまくった」と淡々と教えてもらい、あーっ行かなくて良かった!と思いましたが、興味は尽きず、機会があれば行ってみたいと少し思うくらいでしたが、イエローにはlgbtとは関係ない普通のハウス(House Music)のパーティーに行っていたので、ゲイナイトに行く事は一度もありませんでした。
House Musicと書いていますが、最近の若い子に「ハウスって知ってる?」と聞くと「何ですか?それ?」と言われる事が多く今は、EDM(Electric Dance Music)とひとまとめに踊れるエレクトロミュージックが通称になっています。

歴史を遡ると、バブル期の芝浦ゴールド・日比谷ラジオシティー・新宿リキッドルーム・渋谷クラブエイジア等、といった大きめなハコ(場所とは言わずハコと呼び、今はVenueと書くのが数年前までのトレンドで今は省略される様です)。
他にニチョには、Delight・Club Dragon・Gamosとひと昔前のショットバーにダンスフロアが別にある間取りがありました。
色々なところに夜遊び友達と通い詰めていたのですが、元々本格的なハウスが好きで、普通のクラブに行っていたのですが、ゲイナイトやニチョのゲイクラブには音楽目当てというよりは、そこで出来た友達と毎週末暴れまくって遊べる
安全地帯だったので、自由奔放に夜な夜なフロフロ遊び歩いていました。
普通のクラブは警察のガサ入れや24:00以降は音楽をかけてお酒を提供して踊らせる事が違法だったので、しばしば夜中に外に追い出されてしまう始末。
それに比べてニチョは夜遊びの聖域として、警察が居なく、路上駐車取り締まり名目でパトカーがグルグル仲通りあたりを中心に廻ってました。色々な意味で警察が手を出せない地域だった様です。
青山の骨董通りにあったマニアックラブで、普通のテクノやハウスのハコで、アフターアワーズという朝の7:00頃に仕切り直して、昼まで遊べる仕組みがあり、ニチョで働いて帰る前にマニアックラブのアフターアワーズに行ってlgbtの朝から集い場所となっていました。
瞳孔の開いた人が多かった様です。
ここまで書いたクラブでのlgbtパーティー(ゲイクラブやlgbtクラブ)は段々と縮小していき、色々な法律的な問題で、クラブカルチャ全体が衰退して行きました。