LGBTとクラブイベントの親和性

歴代lgbtのクラブパーティー

歴史を遡ると、バブル期の芝浦ゴールド・日比谷ラジオシティー・新宿リキッドルーム・渋谷クラブエイジア等、といった大きめなハコ(場所とは言わずハコと呼び、今はVenueと書くのが数年前までのトレンドで今は省略される様です)。
他にニチョには、Delight・Club Dragon・Gamosとひと昔前のショットバーにダンスフロアが別にある間取りがありました。
色々なところに夜遊び友達と通い詰めていたのですが、元々本格的なハウスが好きで、普通のクラブに行っていたのですが、ゲイナイトやニチョのゲイクラブには音楽目当てというよりは、そこで出来た友達と毎週末暴れまくって遊べる
安全地帯だったので、自由奔放に夜な夜なフロフロ遊び歩いていました。
普通のクラブは警察のガサ入れや24:00以降は音楽をかけてお酒を提供して踊らせる事が違法だったので、しばしば夜中に外に追い出されてしまう始末。
それに比べてニチョは夜遊びの聖域として、警察が居なく、路上駐車取り締まり名目でパトカーがグルグル仲通りあたりを中心に廻ってました。色々な意味で警察が手を出せない地域だった様です。
青山の骨董通りにあったマニアックラブで、普通のテクノやハウスのハコで、アフターアワーズという朝の7:00頃に仕切り直して、昼まで遊べる仕組みがあり、ニチョで働いて帰る前にマニアックラブのアフターアワーズに行ってlgbtの朝から集い場所となっていました。
瞳孔の開いた人が多かった様です。
ここまで書いたクラブでのlgbtパーティー(ゲイクラブやlgbtクラブ)は段々と縮小していき、色々な法律的な問題で、クラブカルチャ全体が衰退して行きました。

黎明期の終わりと現在

その後、クラブの勢力圏としては、伝説というと大袈裟かもしれませんが、芝浦ゴール以降地味であったクラブイベントやパーティーが復活するかのごとくStudio Costのアゲハのシャングリラが始まった訳です。
こちらは友達と行ってはみたのですが、男子運動部の部室みたいで目が回ってしまって苦しかったので1度しか行かなかったのですが、数ヶ月に1回の開催に向けて、皆が噂して毎回通うlgbtの夜遊びをしていた人にとったら知らない人はいないlgbtクラブとなり皆の集い場となりました。
芝浦ゴールドからの初代GOGO BOYSだった知り合いがいたのですが、ゴールドの運営や他のハウスイベントやアゲハの経営陣だった方の目利きで、旬で人気のある人ががこぞってGOGO BOYに憧れて、ニチョ界隈でのゲイアイコン的なGOGO BOYが多数うまれました。

現在の様子

Club DragonはDragon Men、DelightはD-LITE、Artyfarty(ショットバー)はAnnex、他にはAisotope Loungeと若干地味目ですが。
皆、行儀良く楽しく遊んでいる様で、Eagle TokyoとEagle Tokyo Blueを最近の話題になってしばらく経った今は、かなり健全な感じで大人しく飲んで会話を楽しんだり、GOGO BOYSを観たり触ったりオヒネリをパンツ(スポンサー提供のパンツ(パンツ屋さんのGX3やEGDE等がスポンサーになっていたり、GOGO BOYがパンツ屋のモデルをやったり、パンツ屋で働いていたり)に挟んだり、口に札を加えてGOGO BOYに与えてちょっとキスしたり、なんだか平和な世の中になったなと思います。
クラブ黎明期の暴れっぷりを身をもって体験してきたので、今の健全っぷりをInstagram等で見かけると、皆可愛いもんだなとおじさんは思うのでした!