同性愛者に対する偏見の背景

古代世界における同性愛

同性愛者と呼ばれる方々と同性愛行為の歴史は各国において古くから存在していたようです。
アジア、中東、ヨーロッパの歴史を振り返ってみますと、紀元前から1~2世紀頃には同性愛的指向を持つ人は少なくなく、しかもそれを公にすることも自然だったようです。
ローマ皇帝ネロも同性愛的指向があり、少年と結婚式を挙げたほどです。
日本においても同性愛に関する文献は数多く残っており、将軍徳川家光も男色であったと言われています。

キリスト教以後の同性愛

その流れが大きく変わったのが、キリスト教がローマの国教となり、ヨーロッパ全体にキリスト教が広まるようになってからでした。
聖書は同性愛が罪であると教えているため、同性愛者と同性愛行為は恐ろしい罪であるとされ、多くの同性愛者は自分の性的指向を隠し、異性愛者として生活するようになりました。
もしそれが露見した場合、教会の名の元に裁判にかけられ、下手すれば破門の措置が取られました。
中世のヨーロッパにおいて、教会を破門されるとはすなわち社会から追い出されるという現実があったため、ますます同性愛者は自分を隠して生活せざるを得なくなったのです。

アメリカにおける変化

現代になり、1960年代のアメリカにおけるヒッピー文化が隆盛の時を迎えると、古い時代の価値観から決別して生きていこうとする世代が生まれました。
それと同時に、同性愛者が自分の性的指向を告白する(いわゆるカミングアウト)する事例が増えてきたのです。特にアメリカにおいてはこれが大きな問題となりました。
聖書の価値観を多く受け継いでいたアメリカの社会において、同性愛者はすなわち恐ろしい罪人であると認識されるようになったのです。
この二つの価値観の対立は今でも続いており、アメリカの教会では同性愛をどう受け止めるか、という議論が繰り返されています。
ある教会では、同性愛者の牧師を認めるか否か、で教会が分裂し、二つのグループに分かれていくという出来事も起こりました。