同性愛者に対する偏見の背景
対立が生んだもの
この対立によって、同性愛者の中には教会を敵視する方々が多くなり、教会の方でも、同性愛者とははっきりと距離を置く人達が増えてきました。
同性愛者のイベントの入り口に立ち、「同性愛者は神の裁きを受ける」と書かれたプラカード掲げるクリスチャンもいたほどです。
しかし、近年になって新しい流れが起こりつつあります。ある同性愛者のデモに対して、クリスチャン達が「あなたたちを愛しています」「私達を許してください」と書かれたプラカードと共に歩み寄り、抱き合ったのです。
このように、積極的に同性愛者と関わり、分断を和解へと変えていこうとする人達も出てきたのです。
今後に考えられること
聖書の言葉はキリスト教会にとって絶対的なものであり、これからも変わることがないものです。
そして、それを簡単に変えてしまうならば、それはもはやキリスト教ではないということになります。
多くの同性愛者にとって、キリスト教と聖書の言葉はまるで呪いのようなものに受け取られているかもしれません。しかし、キリスト教と同性愛者が歩み寄るために必要なのが、聖書の言葉であるのもまた事実なのです。
聖書には確かに同性愛が罪であるという言葉もありますが、愛と尊敬を持って人に接する、ということもたくさん教えられています。
そして、教会がその言葉を実践し、同性愛者の言葉に耳を傾け、ありのままの彼らを愛していくことを始める必要があります。そのようにして心を開いて関わりを持っていくならば、お互いがお互いを受け入れ、新しい歩みをしていくことも、不可能ではないはずです。
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