ゲイはこう見た!ゲイによるゲイドラマ批評~テレビの中のLGBT~

最近やたら増えてきてない?…ドラマの中の「ゲイ設定」

最近、以前と比べてテレビドラマでLGBTがモチーフとして取り上げられることが目立つようになってきました。
LGBTのG、ゲイである私が、「ゲイドラマ」や「ドラマの中のゲイたち」をどのように見てきたか、勝手気ままに独断と偏見全開で、書かせていただこうかと思います。よろしければお付き合いください。

「おっさんずラブ」…トキメキ溢れる感動のラブ・ストーリー

恋に恋してキュンとして、テレビでツイッターで話題をかっさらったおっさんたちのラブは、一体全体どんなものだったのでしょうか?
と、まるでバカにしているような書き出しですが、私はこの「おっさんずラブ」という作品をとても好意的に見ています。
放送当時は、自分に身近な内容ということもあり「見てみたいなー」とは思っていたのですが、1回目を見逃してしまい途中から見るのもな…とスルーしていました。
そしてたまたま、スイッチングしてるテレビ画面に放送中の「最終話」が出てきたことで、奇しくもリアルタイムでこの最後のエピソードだけを見ることになったのです。

泣きました。

往年の名恋愛ドラマのような語り口で、男と男が愛を叫び恋に泣き、周りの人々の協力と理解のもと真実の愛を求めて付かず離れずのすったもんだを繰り広げていたからです。
「やればできんじゃん!」…初めてテレビで「見たかったものを見た」気がした私は、届くわけがないことは知りつつも、思わずテレビとその向こう側の業界の方々に向けて「よくやった」「ありがとう」の気持ちを込めてそう口にしてしまっていました。

後追いでTSUTAYAでレンタルしてほかのエピソードもチェックしましたが、どの話も良くできた「恋愛ドラマ」として「おっさん」たちの悲喜こもごものエピソードが編まれていて、見る前に邪推していたような面白半分でゲイを取り上げただけのような内容はほとんど出てきませんでした。
たしかに「おもしろ」「笑い」の要素も盛り込まれていましたが、笑いの対象は「ゲイ」ではなく、「恋愛」そのものに付きまとう「失敗」や「可笑しみ」だったので、そこを嫌だとは思いませんでした。

よく目にする「やめてくれよ」案件のひとつに、「ゲイ」をデリケートな問題として丁寧すぎる捉え方で「特別扱い」してしまい「その優しさが逆に差別的」になっているパターン、というのがあります。
このドラマにおいて「男が男を好きになること」というのが、そういった「優しい」視線の先にあるものではなかったことは、私にとってとても画期的に思えました。
「ゲイ」を壊れモノでも扱うような温かく生ぬるい視点で取り上げるのではなく、もちろんスキャンダラスで奇抜なフリークスとしてでもなく、あくまでフラットに「当たり前」で「普通にあるような」もの・こととして捉えていたのです。

そしてごくオーソドックスな恋愛ドラマのセオリーにのっとった「面白いドラマ」であることを追及したドラマ作りがされ、その中でたまたま主人公たちが「ゲイ」であった物語を描き出してくれていたように見えたのです。
だから、登場人物たちは目の前の相手と恋愛対象として向き合うことにも「当たり前に」前向きだし、最初「非ゲイ」として描かれていた主人公がパートナーを得て「ゲイ」(バイ?)に変化してゆく過程も、「なんかありそう」にも思えるフランクな感じで描かれています。
なにより「ゲイ」を扱ったドラマが、単純に「ドラマとして」とても面白かったことに驚いた作品でした。