「LGBTじゃないし」というフリをしていた、中学生の私へ【体験談】

もしかしてだけど

当時の私は学校の誰にもゲイであることを伝えませんでしたし、まわりもそこについて何かツッコんでくるようなこともなく、そこでは私の望んだとおりの「平和な」暮らしがなんとなく過ぎていきました。
今までずっと、私はそれはそれで別に良かったと思っていたし、それしかできなかったからそうだったんだし、と思って納得していたのです。

しかし先日のインタビューで自身の中学生時代のLGBT事情を振り返る中で、「…もしかしたら、こうではない可能性もあったのかもしれないな」と、初めて私が今まで想定していなかった「平和ではない」バージョンの中学校生活について考えが及んだのです。

その先に待つもの

もしもあの時「ゲイ」バレしていたら、もしもあの時カミングアウトしていたら…そう考えていくと、心配性な私にとって、まず先立って予見されるものは「周囲からの好奇の目」や「冷やかし」「いじめ」などの差別的なものばかりです。

しかし、私はそういった「恐ろしいもの」ばかりを見ていて、それらを克服したところにある「新しい世界での新しい人間関係」にはとんと考えが及んでいなかったのです。
もしもそれを得ることがが叶っていたなら、私の学生生活は実際のものよりずっと刺激的で興奮に満ちた、彩り豊かでワクワクキラキラした明るいものだったかもしれません。

恋愛相談も下ネタも、臆することなく大っぴらにできるし、そうなったら私へのゲイネタ・ゲイいじりも解禁です。
好きな人にだって堂々と気持ちを伝えられる気がします。
そうしたらもしかして、パートナーと楽しく過ごす夢のような学生生活だって送れていたかもしれません。

…まあ、話はそう簡単ではないとも思います。
もしかしたら逆に周囲から完全に孤立することになったり、立ち直れないくらいの壮絶なイジメが私の身に降りかかったかもしれません。
どうなったかなんて、それは誰にもわからないことです。

でも、良きにつけ悪きにつけ、リスクの先にはそれを負っただけのなにがしかの「答え」が待っているのだということに気づいたのです。
私は初めて、「リスク」までで止まっていた自分の思考を、今更ではありますが「その先」に推し進めることができたのです。