裏桜木町・野毛【LGBTに優しい街】

野毛の街並み

「じゃあ、3軒ほど寄ってから目的のお店に行こうか」

Tさんが言い訳をする姿を、私は見たことがありません。
それでも、
「なぜ3軒も寄り道をするのか?」
「目的のお店には、何時に着くつもりなのか?」
2時間待たされた身としては、問いただしたくもありました。
この日の最後に私は、それが「野毛」という街を理解するために、とても重要だったと学ぶことになります。

いつもとは違う装いのTさんと歩くことは、とくに気にはなりませんでした。
ぱっと見であれば「異性装」と気がつかないほどに自然で似合っていましたし、落ち着かないのは私にとって、むしろ「飲み屋街」そのものでした。

Tさんと合流するまでの数時間の間に、この「野毛界隈」を一人で歩いてもいました。
大通りに沿って、ぐるっと一周しても20分くらいでしょうか。言い方を変えれば、細い路地に分け入る勇気がなかなか湧かず、気がついたら一周、してしまいました。
ということなのですが、そんな小さな区画にびっしりと飲み屋さんが建ち並び、意を決して脇道に潜っても、息継ぎのために大通りに出る、というように、私にとっては極めて馴染みがたい「界隈」でした。

Tさんについて歩けば、息苦しくはあってもとりあえず「呼吸」はできます。
そして、明かりの漏れる店内は、私一人のときは単なる「異世界」でしたが、Tさんは気軽にそれらの扉を次々と開け、「空きある?」と尋ねたりしています。

Tさんも私と同様素面のはずですが、「お酒に酔った人たち」に対する抵抗感もないようで、すたすたと人混みを掻き分け進んでいきます。

「ここの串焼きが美味しいんだよ」

と、とあるお店の屋外のテーブルにTさんは腰掛けました。ビールと烏龍茶で乾杯を済ませ、運ばれてきた串焼きに私が手を伸ばす前に、Tさんが大きな声を出しました。

「お〜い!こっち、こっち!」

本当に道が狭いので、距離にして3メートルほどの目の前を、Tさんと同じ異性装の2人が通り過ぎて行きました。お2人とも純白に近い、とても目立つ装いでしたが、Tさんの声に気づかなかった、のではなく、自分の歩く姿を美しく見られたい、歩くのを止められたくなくて通り過ぎた、のかな?というようにも見え、ずいぶんと遅れて、

「あ、Tさん。こんにちは〜」

と、引き返してTさんと談笑が始まりました。ビールが2杯増え、同時に追加で1杯注文をし、Tさんの舌が一層なめらかになってゆく中、隣のお店から出てきた2人組のOLさんが、「あ!○○ちゃんだ!」と純白のお一人に駆け寄ってきました。

「お〜。こんにちは〜」

 「○○ちゃん。会いたかったよ〜。あ、こちら私の同僚の○○ちゃん。一緒に写真に映ってもらっていい?」

「お〜。いいよ〜」

純白のお2人は、ビール1杯で「またね〜」と夜の街へと消えて行き、その背中を見つめながら、Tさんは私に言いました。

「あの2人は、この街で私たちが受け入れられる土壌を作った2人なんだよ。あともう1人いるんだけど、多分今日は会えないかな」

間もなく私たちもそのお店をあとにしました。
Tさんがここに寄った理由は、別にあのお2人と会うことではなかったのではないか?今思い返しても、そう考える方が自然です。きっと、単に喉が乾いていたのでしょう。

次に「立ち寄った」のは、そう広くない2階の店舗に、異性装者さんたちが所狭しと集う「オフ会」でした。ほんの10分ほどで「次があるから」とTさんは席を立ち、通りに出てから、

「付き合いなんだよね。あまり大きな集会は好きではないんだ」

とこぼしました。

そして3軒目は、「THE 居酒屋」という感じのお店でした。いきなりガラガラと引き戸を開けると、本当に普通の居酒屋さんでしたが、一番入り口に近いテーブル席にいたお客さんが、

「あ、Tさん!」

とこちらを見ました。

そこでも10分から15分。アルコールと烏龍茶一杯ずつを飲み干すと、「それじゃ、あとでね」とTさんはそそくさと席を立つのでした。

肝心の目的地のお店の場所を、Tさんは覚えていませんでした。

何軒かのお店を開け、「あ、ごめん。また来るね」と私の方を向き直って「ここじゃない」と首を振り、ようやく辿り着いた小さなお店の中には、Tさんと同じ異性装のお客さんばかり、3、4人がカウンターでくつろいでいるところでした。

ここでもTさんは人気者です。すぐに先客さんたちに囲まれ、豊富な話題で話の中心になります。

私はそれを、輪の外側から聞いているだけで楽しかったのですが、店主さんが私に話しかけてくれました。

「ワタシがこのお店を始めて、もう10年になるのよね〜」

店主さんもTさんと同じ、異性装者さんでした。