自分の性がわからない それがわたしの性

わたしの性は女性?男性?それとも・・・

わたしは“女性です”とはっきり言えないし、好きになる相手の性は女性だけ、とも言い切れず、あいまいです。それでいいと思っています。
でも、“あいまい”を許さない社会・周りの目線、空気。これがとても苦しくて厄介。
この目線、空気はどこからくるのでしょう。一つには固定的な性別役割意識が背景にあると考えます。

社会には男性と女性しかいない??

もともと、性別は2つが当たり前で、多くの人が「男性」「女性」として育てられてきました。
例えば「男の子なんだから泣かないの!」「女の子なんだからお手伝いしなさい!」といったようなことを、ほぼ全ての人がどこかで言われた経験があるのではないでしょうか。
そして「男は仕事、女は家庭」という役割分担によって社会がうまくまわっていた(ように見える)時代があります。
それで問題ないのであれば、この意識や役割分担を苦しく感じる人がいたとしても、意識・考え方を変えていこう!とはなりませんね。
この固定的な性に対する意識が社会の空気となって、性のあり方の自由を邪魔しているのではないでしょうか。

わたしが考えるLGBTアライとは

わたしのような“あいまいな性”を否定せず、変な目で見ず、対等に付き合ってくれる人。
いろいろな性のあり方を理解し、応援・支援をする人たち、それがLGBTアライと認識しています。
でも理解する側がアライで、される側がLGBT当事者分けるのも、変な気がしています。
性のあり方は一人ひとりそれぞれ違うもので、みんなが多様な性のあり方の当事者だから。
その考え方ならアライという言葉もいらないのかもしれません。
性のあり方はアイデンティティに関わります。
だから、自分の感覚にピッタリくる性のあり方・表現に出会えれば、そして周りも社会もそれを問題なく認めていれば、性のあり方で苦しむ人はぐっと減るし、もっと柔軟な豊かな社会になるのではないでしょうか。