LGBT差別を無くす必要性があるか無いか

自由と自分勝手は同じ?

いくら正しい事といえど、十人十色では済ませられない世の中の考え方があり、1人1人、世界中の全員が別々の意思や考え方を持っています。
lgbtに対して嫌悪感を持つ人が、仮に30%いたと仮定します。
それを理解してくれと30%→40%の人に認めてもらいたいとする行動とは果たして生産的な事なのでしょうか?
世の中は、犯罪を犯さなければ実質的に全て自由な世の中なのですが、言ってしまえば差別するのも自由な訳です。
差別する人を減らして理解してくれる人を40%、ゴールとして100%までにする意味は何処にあるのでしょうか?
それが出来るのなら本当に素晴らしい事ですが、理解してもらえる30%の人とお付き合いを深めれば良いのでは?というのが合理的な考え方に思います。

lgbt 差別の根源?

様々な性差別が存在しているのは事実であって、lgbtに限らずとも、産まれた時〜会社を定年する歳になってまでもイジメが無くならないのと同じ様に、lgbt 差別は産まれた時から死ぬ時まで消えないかもしれません(現状では亡くなられても誹謗中傷が続く始末)。
かといってlgbt 差別を減らす試みを無駄だとは思いませんが、lgbt 差別を無くしてマイノリティの方々に平等に存在して、出来れば100%認めてもらいたいと思っているのか、今の素の自分の姿を本当の自分であると理解してもらいたいのでしょうか?

lgbt 差別を減らす?

ここ数年の現状を観ているとモヤモヤする事が多々ありまして、毎年恒例になっていた渋谷のレインボープライドパレードについて、若干疑問を持っています。
パンツ1枚裸同然でレインボーフラッグをはためかせ、渋谷のど真ん中を闊歩する姿を見せて、何を理解してもらいたいのでしょうか?lgbt・レインボーフラッグ・パンイチ・女装・GOGO BOYといった、二丁目の限られた世界の中では普通の事でも、世の中一般の人がそれを見た時にどう思われるのでしょうか?
ちょっと麻痺しているのかな?と差別する側になってしまいそうな感じで静観しています。
派手派手何でもありのレインボーパレードでlgbt 差別を減らす事が出来たら良いのですが、どうでしょう?
楽観的にみると、只々楽しめれば良いという風潮がある様にも見えますが、それもありなのですかね!?警察のおとがめも無い様なので。